都史考察

都史等について、気になったことの考察やメモ。文献調査に基づく個人的な意見ですので、特定の組織等の見解ではありません。

05 鈴木俊一と新東京都庁舎

本日は、鈴木俊一都知事の命日からちょうど10年に当たる日である。

鈴木知事は、今日でも歴代の知事の中で、実務型の知事として高い評価を得ている*1。実務型の知事を語るときに必ずと言ってよいほど引用される人物であり、今日でも都政史を語る上での最重要人物の一人である。知事としての任期が満4期と、全都知事の中で最長なだけでなく、鈴木は都政と最も縁の深い知事だろう。鈴木は子供時代に、東京府知事宛ての書類群を見て東京の知事に関心を持ったと語り、都知事を夢見たこともあったというが、鈴木の人生において東京都は運命のように幾度と関わりを見せてくる。

 

鈴木は、東京都の誕生にもかかわっている。1943年、東京府東京市が廃止され、東京都が誕生したとき、鈴木は内務官僚として、内務省地方局行政課の筆頭事務官として都の制度づくりに携わった。戦後、GHQによって地方制度の改革が進められると、鈴木は地方自治法の制定を担当した。東龍太郎都政では、東京都副知事に就任し実質的に実務を仕切り、「東副知事・鈴木知事」などとも揶揄された。当時、内閣官房副長官を務めていた鈴木にとって、東京都副知事は格の下がるポストであったが、1964年東京オリンピックを前に、行政経験のない東知事の補助役として依頼を受けたものであった。1979年に念願の都知事に就任すると、満4期を務めた。

この鈴木都政のキーワードとして、青山やすし氏は、「臨海・庁舎移転」を挙げている*2。「臨海」とは、お台場などのエリアを指し、鈴木知事は多心型都市の心の一つとして臨海部の開発を行うとともに、世界都市博覧会の開催をこのエリアで行おうとしていたこと、そしてそれが青島知事の就任により中止となったことは広く知られている。今回は、もう一つのキーワードとなっている「庁舎移転」に注目したい。

 

高度経済成長により、行財政需要が増大し、都の職員数が増加すると、丸の内の庁舎では事務室面積の不足が深刻化した。また、丸の内庁舎は、(新庁舎と同じく)丹下健三設計の庁舎が目立ったものの、分庁舎や賃貸ビルにも庁舎が分散し、事務の非効率化を招いていた。

こうした中、鈴木知事は就任当初から、新宿副都心への庁舎移転を目標に定めた。新宿が選ばれたのは、多心型都市構造の心の一つとして新宿が選ばれており、淀橋浄水場の跡地に未利用の都有地があったためである。また、移転の理由の一つとしては、人口重心が西に移っていることも挙げられた。この点、多摩出身の鈴木知事には多摩からのアクセスの良さが重要度の高いものとして考えられたということもあったかもしれない。

「シティ・ホール」として都民交流などの従来以上の機能を付加された新庁舎は、その後6年かけて調査や調整の上、1985年に「東京都庁の位置を決める条例」が可決された。そして、翌1986年には指名設計競技で丹下事務所が選定され、再び丹下健三が庁舎設計に携わることとなった。

コルビュジェ風のピロティ空間が特徴的な低層の旧都庁舎と比較して、新都庁舎は高層かつ、庁舎・議会棟を接続する廊下で周囲をバチカンのサンピエトロ大聖堂のように区切られた特殊な空間である。都民の交流空間として都民広場が設計され、気軽に訪れられるものとして、文化機能なども付与されているが、第一本庁舎の厳かとも言える様相は、むしろその逆の評価を受けることすらもある。なお、鈴木と丹下は大阪万博の準備等でも交流があり、鈴木の知事選挙の応援団長を丹下が務めるなど、つながりが深かった。丹下健三が抜きんでで有名な建築家であった上に、この関係もあり、当初から丹下事務所の案が採用されるとの見通しが強かった。実際に、出そろったコンペ案を見ても、磯崎新案などの面白い案も見られる*3ものの、デザイン性として丹下事務所案が卓越していると言えるだろう(もっとも、電子回路に見立てられた表面デザインは、出来上がってみると薄っぺらかったなどの評価もあり、新都庁舎の評価は必ずしも良くはない)。

こうして誕生した都庁舎には、多額の費用がかかったことなどからの批判もあるものの、東京のランドマークの一つ、観光地の一つとしても広く親しまれている。余談だが、私はシンガポールに行ったときに、この都庁舎によく似た建物を見つけた。UOBプラザと言う名のこのビルは高さや低層階の構造などに大きな違いはあるものの、本質的なデザインが酷似している。きっと、新都庁舎デザインは建設後も丹下の自身のお気に入り作品の一つだったのだろう。

 

鈴木の功績は他にも幾多とあるが、これらと別に挙げるならば、その一つは国際交流(都市外交)であったと思う。鈴木時代に多くの都市との友好都市関係の締結や、海外事務所の設立、相互訪問などの交流が加速した。この点は、高木祥勝『東京都の国際交流―鈴木都市外交の軌跡―』に詳しい。

 

参考文献:

東京都『新都庁舎建設誌』

鈴木俊一私の履歴書

鈴木俊一『官を生きる 鈴木俊一回顧録

東郷尚武『東京改造計画の軌跡ー多心型都市の形成と都庁舎移転』

*1:

都政新報小池都政 虚像と実像~第1部 都職員アンケート(6)/知事選/都政の安定、職員は切望」

*2:青山やすし『東京都知事列伝』、105頁

*3:平松剛『磯崎新の「都庁」』参照