都史考察

都史等について、気になったことの考察やメモ。文献調査に基づく個人的な意見ですので、特定の組織等の見解ではありません。

06 もう一つの新東京都庁舎

前回、鈴木知事時代の新東京都庁舎建設について記事を書いたが、ここでもう一つの庁舎案について語りたい。具体的には、磯崎新の案についてである。本稿では詳細は説明しないため、平松剛『磯崎新の「都庁」 戦後日本最大のコンペ』や実際の応募案も参考にされたい。

 

私事ではあるが、哲学系の学生であった私は、高校時代の友人の「建築は哲学を体現したもの」という話から、東大建築学科に通っていた別の高校時代の友人の手伝いを行ったり、自分でも就職後に大学の建築学科に通ったりした。哲学、特にフランス現代思想と建築との関わりを考えるとき、磯崎新について語らざるを得ないだろう。私の手元にある磯崎の著作を取ってみてもデリダラカンが出てくるなど、現代思想への関心と造詣の深さを読み取れる。

 

その磯崎は、新都庁舎建設に当たるコンペに参加していた。高層ビル案が並ぶ中、磯崎が提示したのは地上23階建て、軒高89mの「低層案」だった。その様相は、今日のフジテレビの社屋を想像していただければわかりやすい。

 

磯崎が新都庁舎案に込めた思想は「リゾーム(錯綜体)」と「プラトン立体」。リゾームとは、ドゥルーズ=ガタリポストモダン社会の構造と提示したもので、ツリーに対比されるものである。

東京都を含む、役所の組織図というものを思い出してもらいたい。それは、知事なりの「長」を頂点に、各局ー各部ー各課などに枝分かれをしていく、まさにツリーの構造と言えよう。磯崎は、こうしたタテ割り構造への批判を込めて、リゾームの概念を導入した。そして、これをジャングルジム型の立体格子という形で表現した。

また、プラトン立体は、幾何学立体を火、空気、水、土などに対応させたものである。磯崎の新都庁舎デザインには、球体やピラミッドが盛り込まれている。フジテレビ本社にシンボル的に球体が入っているように。

新都庁舎建設に当たって多用されたのが「シティ・ホール」という言葉だったが、これは旧来の単なる行政機関のオフィスビルを脱却し、住民との距離を近づける広場的機能(及び文化機能など)を模索したためである。

これに対する丹下の答えが、現在の都民広場(第一本庁舎と議会棟の間の広場)であったのに対し、磯崎案は、4つに分けた巨大な低層ビルの間に屋根付きの広場を設けるというものだった*1。そして、丹下が都民広場の周りの回廊でサンピエトロ大聖堂の広場を表現したのに対し、磯崎はその4つの建築物を以て、サンピエトロ大聖堂のような巨大で象徴性の高いものを表現した。

そして、磯崎が新都庁舎案に込めた概念は最終的に「強度」「交通」「錯綜体」「崇高」「ハイパーテック」の5つの言葉で示されるようになる。プラトン立体は、このうち「強度」の表現に用いられている。

読み物としても大変に面白い。ベネチアサン・マルコ広場風の柱に風神・雷神が乗せられているかと思えば、村上龍の小説が引用されたり、村上春樹が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で登場させた東京の地下に住み着く「やみくろ」が場したりする。丹下が西新宿の中心軸として第一本庁舎を設計したのに対し、磯崎は様々な軸を発生させる「多軸性」を表現した。この作品は、およそ他のコンペ参加者の大手企業などではとても提出できるものではない。

この磯崎案は、(共著も出すような友達であったが)ニューアカの代表的な論者である浅田彰や、風水的な知見から荒俣宏などの支持も得たようで、実際に審査の過程でも注目を集めたようだが、建築法上の問題などもあり、採用されなかった。

しかしながら、行政庁舎のあり方を考えるとき、高層ビルの新東京都庁舎型に対峙する概念として、今日でも十分に参照され得るものだろう。

 

参考文献

平松剛『磯崎新の「都庁」 戦後日本最大のコンペ』

プロセス・アーキテクチュア『東京都新都庁舎・指名設計競技 応募案作品集』

ほか

*1:なお、あえて述べるまでもないが、磯崎は丹下研究室の出身で、丹下とは師弟関係である。