都史考察

都史等について、気になったことの考察やメモ。文献調査に基づく個人的な意見ですので、特定の組織等の見解ではありません。

07 『美濃部都政12年 政策室長のメモ』から読む美濃部都政

美濃部都政を語る上で外せないのが、童門冬二ペンネームで知られる、太田久行だろう。目黒区役所をスタートに、政策室長にまで上り詰め、美濃部からも副知事候補として名前が挙げられた。後に、美濃部知事の退陣に伴い、自身も都庁を退職する。なお、戦時中の太田の経歴でよく書かれるのが、「海軍少年飛行兵の特攻隊」というものだが、少年飛行兵は陸軍のもので、「七つ釦は桜に錨*1」で知られる海軍の予科練に属していたと思われる。

その太田が、都庁を退職後に書いたのが『美濃部都政12年 政策室長のメモ』であった。美濃部の側近中の側近として、直に美濃部都政を見てきた著者が美濃部都政全体を語るものである。以下、部分的に印象的だったところや気になったところを、読書感想的に書き記したい。

 

・東京に憲法を実現

太田が、記者から美濃部都政12年の評価を問われた際には、「東京に憲法を実現したことだ。何よりも都民と都政の距離を縮め、溶け合わせたことだ*2」と答えたという。美濃部は都の意思決定において、都民の意見を重視し、「都民と都政を結ぶつどい」という名の対話集会を開催した。

また、美濃部都政の中期計画においてシビル・ミニマムの思想を実験的に導入するとともにその理念を発展させたことは、本考察の01で述べたところである。

特に「憲法」という言葉が用いられていることに、彼があの美濃部達吉の長男であったことが無関係ではないだろう。「天皇機関説」で知られる憲法学者美濃部達吉は、今日でも学校で日本史を履修すれば学ぶほど、幅広く知られるものである。そして、その生まれ故に、職員からは「貴族」とも呼ばれていたと本書では記されていた。

しかし、「貴族」と呼ばれるほどの名門の出でありながら、都民との対話を重視し、「都の掃除人」になるとして、最後は東京のために「泥をもかぶる」覚悟で三期を務めた。

 

・美濃部福祉

美濃部都政といえば、その福祉行政で知られるところである。「ばらまき」とも批判される、そして本人も「東京の、そして日本の福祉は、もっとバラまいていかなければならない*3」と述べたほどの、福祉行政は後に石原都政において大きな方針転換を求められるが、当時の福祉行政の新たな一歩であったことは疑いようがない。

 

・ごみ戦争

京王井の頭線高井戸駅を降りて数分歩いたところに、杉並清掃工場がある。2017年に新工場が建て替えが終わった、この工場は、都が誇るごみ処理技術の格好の視察先となっているが、ここには「東京ごみ戦争歴史みらい館」が併設されている(ついでに言えば、ごみ処理の熱エネルギーを活用した足湯も併設されている)。

この歴史館では、今では想像もできぬ、ごみ戦争の姿が語り継がれているが、この「ごみ戦争」の名は、美濃部が1971年に「ごみ戦争宣言」を行ったことに由来するものである。なお、今日では、ごみ処理は東京二十三区清掃一部事務組合(2000年設立)などが担っているが、かつては都庁の清掃局がこれを担当していた。

ごみ戦争の詳細は省略するが、この杉並清掃工場の建設に導いたのが美濃部であった。太田は、このごみ戦争が都庁と都民のごみに対する認識を変え、都市問題とするとともに、憲法実現という高い次元にまで発展させたと述べている*4

 

・橋の哲学

美濃部都政の特徴の一つとして語られるのが、この「橋の哲学」であった。フランスの医者、フランツ・ファノンの「たとえ橋ひとつつくられるにしても、その橋の建設が、そこに住むすべての人々の意識を豊かにしないならば、橋は建設されない方がよい」という言葉に由来する。実際に、知事の祝詞では「すべての人々の合意」と書かれたものが、首都整備局長によって「多くの人々」に改められ、知事はこのように演説した。しかし、すでに「すべての人々」で印刷されたものが議員や記者に回っていたというのは面白い話である。

 

北京市との友好都市関係締結

本書では、北京市との友好都市関係の締結についても簡単に述べられている。美濃部知事の引退の一か月前のことである。今日、北京市は友好都市関係を拡大させる友好都市外交とも言える国際戦略を展開しているが、北京にとって第一の友好都市は東京都であった。そのため、今日でも相互訪問が行われるなどの関係が継続している。

ちなみに、東京都には12の姉妹友好都市があるが、このうち姉妹都市ニューヨーク市だけで、あとは友好都市である。英語では"Sister City"という言葉が用いられるが、「姉妹」とは上下関係のあるものである。その言葉が含む上下関係を嫌う中国との関係では、他の自治体においても、「姉妹都市」ではなく「友好都市」という名称を選ぶことが多い。

なお、極めて私見であるが、私は中国との友好都市関係の締結は、国家外交上の意義も高いと考えている。なぜなら、中国の国家行政において、大都市の市長や、省長は、中央官僚の出世ルートに含まれているからである。習近平福建省長であった頃に友好都市の長崎を訪問しているし、現在の中国共産党最高幹部の一人である蔡奇書記は元北京市長である。

 

・都電青山車庫

本書では、美濃部知事が都電青山車庫の跡地をしきりに気にしていたという話も出てくる*5。都電青山車庫は、青山学院大学の前の、現在の国連大学が建っている土地である。

このときは、池袋に芸文会館、新宿に清掃工場付きのシティ・ホール、青山に婦人会館が建設される見通しだった。これらは、今日の東京芸術劇場(1990年完成)、東京都庁舎(1991年完成、清掃工場はなし)、東京ウィメンズプラザに相当するものだが、このころからの計画は少し形を変えながらも、ほぼ達成されている。

 

以上、本書を読んでの雑感である。美濃部都政3期目の重要課題であった財政再建については、あえて記さなかった。

*1:本筋とは全く関係がないが、これが俗にいう「制服の第二ボタン」の由来である

*2:22頁

*3:111頁

*4:142-143頁

*5:231頁